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激しい頭痛と闘いながら

  • etemon666
  • 2019年1月17日
  • 読了時間: 7分

激しい頭痛と闘いながら。

今回は前回に引き続きバンド結成秘話でも話しましょうかね。

話せば長いぞ~。。。

なるべく短く話すけども、それでも長いのでこれを最後まで読んだやつは相当ヒマってことだ。

遡るともう2~3年前の話ですわ。

当時おれはミットンくんと共同生活をしていたんですけども、毎日毎日暇を持て余しながら2人で酒飲んでバイオハザードするくらいしかやる事がなかったんです。

バイトの時間以外はただひたすらにゾンビを撃ち殺す日々。

刻一刻と過ぎていく無駄な時間をなんとか有効に使いたいと思ったおれは以前から気になっていた宅録をはじめるようになりました。

最初はテクノがやりたかったんですよ。

電子音楽ってやつをね。

でも正直ボーンスリッピーくらいしか知らないし、やってみたもののそこまで興味が持てなかったから大人しくロックを作ることにしました。

一応10代の頃に軽くパンクバンドをやってたからある程度楽器は弾けたのでギターやベースを使って録音することにしたんです。

そん時に作ったのが、ユーチーブにもあがってる"Cherryboy"っつぅ曲。

全然パンクちゃうやん!って感じの曲ですが、大人になってパンクを卒業してちゃんとビートルズを聴くようになったからあんな感じの曲になったんだと思う。

思いのほか出来が良かったもんだから、ミットンくんやら上の階に住んでるヤーシーくんにドヤ顔で聴かせたのを覚えてる。

何回聴かせんねん!ってくらいいっぱい聴かせた。

(ユーチーブで聴いてね!かっくいいから!)

それが2016年くらいの話か。

正直ウケ狙いで作って、仲良い友達のみんなを笑わせようと思ってたんですが、なぜかみんなマジな顔で聴いてくれて、しかも褒めてくれた。

それが嬉しくて、でもチョイと恥ずかしくて、変な気持ちになったのを今でも覚えてる。

ハタチ過ぎてからはなんの目標もなくのうのうと生きて気づけば身体にカビがはえてることがあったり、2週間くらい風呂に入らなかったこともあったり、最寄りの駅の喫煙所までシケモク集めの旅に出たこともあったりと、そんな廃れた生活にCherryboyはちょっとした自信をくれたんです。

聴かせたみんなが褒めてくれたことで

「あれ!もしかしておれって良い曲書けるのかも!」と思った。

「これバンドでやったらカッコいいんじゃね?」って言ってくれる奴もいて、それ以来無性にバンドがやりたくなった。

とは言っても友達もロクな奴いないしどうしようか悩んだ挙句、とりあえず同居人のミットンに無理やりベースを持たせて、昔からの友人にドラムを頼んで3人でスタジオに入ってみました。

吉祥寺のペンタだったっけな。

ミッシェルとかピーズを練習してたなあ。

ミットンはベースのべの字も知らんド素人だったのでクソ下手だったんだけども、ドラマーも酷かったなあ。

そのドラマーはホンコンの初代ドラマーの"りょう君"って奴なんだけども、まあ下手クソでエイトビートもロクに叩けないような奴だったんすわ。

彼とは10代の頃一緒にパンクバンドやってたんだけど、5年越しくらいにスタジオ入ると当時より下手だった。(当時もエイトビート叩けてなかった)

結局彼は辞めちゃったけども、あん時はあん時で楽しかった。

それが2017年の春くらいかな。

とにかく暇つぶし的な感じでスタジオに入りまくってようやくミッシェルのGT400とピーズの実験四号を演奏できるようになったときは嬉しかった。

そっからちょいと難易度をあげて"はっぴいえんど"をやるようになった。

はいからはくち、花いちもんめを練習したかな。

でもギターが難しくて歌いながら弾けないもんだから、ボーカルを入れることにした。

おれが「ヤーシーでいいんじゃね?」っつったら、彼の同級生のミットンくんは「アイツはバカなのでイヤだ」と即却下してきた。

しかしおれもボーカルよりギターがやりたかったからなんとかミットンを説得してヤーシーをスタジオに呼んだ。

無理やり歌わせてみたら意外としっくりきたから、とりあえずその4人でバンドを始めることが決まった。

そして初めて僕らのオリジナル曲"Cherry boy"を練習するようになった。

そんな中、頑張るおれ達を指をくわえて羨ましそうに見つめる1人のバカがいた。

そいつが今は亡きもう1人のギター"ズーシミ"という男。(現在はギターからスタッフへと"昇格"している)

ズーシミはヤーシーと一緒に住んでいた。

おれ達が集まってバンドの話をしていると、捨てられた子犬のようにプルプル震えながらドアの隙間からこっちを覗き見ていたので、かわいそうに思ったおれは「ズーシミも誘ってあげる?」とみんなに言ってみた。

するとビックリ、満場一致で「いらない」と返ってきた。

紆余曲折を経て結局おれの懐の深さがモノを言ってズーシミも加入することになり、ホンコンエテモンキーは結成された。

そうそう、バンド名の由来も話しておこうかね。

5人になったのが2017年の夏の終わりくらいかな。

12月に初めてライブをやることが決まったんです。

ライブが決まったからにはバンド名を決めなくちゃいけないので、1人1個ずつバンド名を考えて持ち寄ることになった。

ホンコンエテモンキーというバンド名を持ってきたのはズーシミだった。

でも、考えたのはおれなんです。

まだバンドを始めるずーっと前、ズーシミと同じ仕事をしてた頃があった。

毎日毎日ダラダラとサボりながらどうでもいい話をしていたとき「もしバンドをやるならどんなバンド名にするか」というテーマの話になった。

そこでおれは"ホンコンエテモンキー"と答えた。

ダウンタウンの"ごっつええ感じ"のコント"エキセントリック少年ボウイ"に登場するホンコン演じるエテモンキーというキャラにちなんでそう答えた。

もちろんクソテキトーに考えた名前だった。

バンド名を決める当日、みんなが持ち寄った名前をそれぞれ紙に書いて箱の中に入れ、くじ引きのように引いて決めることになっていた。

何も思いつかなかったというズーシミは昔おれが言ってた"ホンコンエテモンキー"を思い出し紙に書いて入れた。

その結果運悪くそれが引かれてしまいホンコンエテモンキーとなってしまったのだ。

しかしその他にはミットンが考えた"ビーチクロブスター"や"モンティーパンティー"などのイカレたセンスの名前が入っており、もしかしてこれで良かったのかもしれないと今になって思う。

これでようやくバンドが形になった。

「何かやらなくちゃ」と思いながらも今まで何もやってこなかったロクデナシの5人組が何かを始め人の前に立つという事にドキドキした。

みんな音楽が好きな奴ばかりだけど、まさか自分達がバンドをやるなんて思いもしなかった。

ほぼ全員がアル中のような奴らで、みんな自分に自信が無く、社会にうまくなじめなかった。

おれは"円盤"という曲を書いた。

当時の自分たちの気持ちが滲み出たとても良い歌だと思っている。

全員めちゃくちゃ下手クソだけど、それでも毎週練習してようやく初ライブをした。

結果はボロボロだったけどなんとも言えない楽しさがあった。

ステージの上では照明が熱くて、緊張も相まってか1曲目から汗が止まらなかった。

断片的な記憶しかないけど、とにかく楽しかった。

ほんとに、ひどい演奏だったと思う。

軽音部の1年生がやってるバンドより下手クソだったと思う。

それでも「カッコよかった!」って言ってくれる人がいて嬉しかった。

そんでその月、なぜかおれ達はベイキャンプに出ることが決まった(笑)

ズーシミが勝手に応募したオーディションに奇跡的に受かってしまったのだ。

あれも嬉しかった。

翌年の2月にクラブチッタで演奏できたんですよ。

メインステージじゃなく、通路に特設された小さいステージだったけど、いざ出てみたらたくさん人がいた。

興奮してしょうがなかった。

もちろんクソみたいな演奏をした。

全員鬼のように緊張して一曲目のアタマからミスして2階から見てる女の子に笑われたのも覚えてる(笑)

悔しかったけど、それでも楽しかった。

次はメインステージで呼ばれたいと思う。

そんで3月か4月くらいかな。

おれ達が大好きな下北沢近松ってライブハウスである男と知り合った。

そいつは対バンのドラマーだったんだけど、金髪で色白でガリガリで、ディセンデンツのTシャツを着たゴリゴリのパンクスだった。

そう、現ドラマーのシンだ。

同い年でパンク好き、共通の趣味がきっかけで急激に仲良くなった。

もうびっくりするぐらい一瞬で距離が縮まった。

ディセンデンツのTシャツ着てる時点で最高な奴で間違いないと思ってた。

すぐにみんなが住むマンションへ転がり込んできた。

それに嫉妬したのかりょう君が出て行ってしまうのだが、結果的にそれで良かった。

シンは出会った時点でホンコンエテモンキーのドラムだった。そんくらいバチッとくるもんがあった。

他のみんなと同じように人間性も欠如しまくってるし、そこも含めて(笑)

そして一向にギターが上達しないズーシミをバンドから勇退させスタッフへと昇格させ、新生ホンコンエテモンキー、現在の形となるってわけだ。

ちょっと長くなりすぎた。

1時間くらい携帯ポチポチしてるわ。

目がチカチカする。

さすがにこれ以上細かく話すと夜が明けてしまう。

いや、てかもう明けてるわ。

ゴリゴリ明るいわ。

もうすぐ8時やんけ。

アホか。

 
 
 

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